好奇心

オカルト、ホラー、未解決事件の話題を中心に取り上げる「好奇心」です。

橋北中学校水難事故で語られる幽霊の噂について検証

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 1955728日、三重県津市の海岸で女子中学生36人が水泳訓練中に溺死した。この事故は現在に至るまで日本最悪の水難事故として知られている。


 そしてこの事故が語られる際に決まって話題となるのは幽霊の話だ。


 事故から生き残った一人が言うには、「もんぺ姿の女が海中に漂っていた」という。


 ではこの事件は実際にはどのようなものだったのだろう。


岸から約10メートルのところでジャブジャブやっていたところ、突然高波が襲いかかり、足を波に奪われてあわてて救いを求め、先生の身体にしがみつくもの、手をあげて沈んでゆくものでしゅら場となり、他の組で泳いでいた先生もかけつけて次々に救い上げた。
朝日新聞1955728


 この事件で生き残った生徒達によれば、溺れた理由は「大波にさらわれた」というものと、「海底の流れに引きずり込まれた」というものがあった。またメディアや国会は教師達に事故の責任を求め、教師たちの責任が追及された。


 ここで注目すべきは、いずれの記事においても幽霊の話は出ていないことだ。事故発生当時は幽霊の話など無かったということだ。


 この水難事故の背景に初めて幽霊が現れるのは、事故から約1年後となる1956729日に掲載された『伊勢新聞』の記事だった。

 この記事中では、事故から生き残った生徒の一人が「海の底から女性が足首を引っ張りに来た」という証言を載せている。また、事故のちょうど10年前に空襲によって津市の中心部が壊滅し、その無縁仏が事故の起きた海岸に埋められたという話も載せられている。


 空襲があったことはどうやら本当のようで、以下に挙げる通り市街地一帯が火の海になり、死者も多く出た。


深夜から29日未明にかけて、焼夷弾が「雨あられ」の様に投下されて市街地一円が炎上し、罹災家屋は約10000戸、死者344名・行方不明38名。
 
被害者数は資料によってまちまちで、死者については14921745名となり、戦後の経済安定本部『太平洋戦争による我国の被害総合報告書』では1885名となっている。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-tsu.htm


 そして事故から8年後、『女性自身』に生還者の一人である中西弘子氏の手記が載せられた。


「弘子ちゃん、あれを見て!」私のすぐそばを泳いでいた同級生のSさんが、とつぜん私の右腕にしがみつくと、沖をじっと見つめたまま、真っ青になって、わなわなとふるえています。その指さすほうをふりかえって、私も思わず、「あっ!」と叫んでSさんの体にしがみついていました。
私たちがいる場所から、2030メートル沖のほうで泳いでいた友だちが一人一人、吸いこまれるように、波間に姿を消していくのです。すると、水面をひたひたとゆすりながら、黒いかたまりが、こちらに向かって泳いでくるではありませんか。私とSさんは、ハッと息をのみながらも、その正体をじっと見つめました。
黒いかたまりは、まちがいなく何十人という女の姿です。しかも頭にはぐっしょり水をすいこんだ防空頭巾をかぶり、モンペをはいておりました。夢中で逃げようとする私の足をその手がつかまえたのは、それから一瞬のできごとでした。
『女性自身』1963722日号


 中西氏は他にもテレビ番組「アンビリーバボー」の2003年に放送された回で幽霊を目撃した旨を本人自らの口で語っている。


 事故の当事者が言うのだから信憑性は高いはず。本当に幽霊の仕業なのだろうか。


 しかし流れが変わったのは2020年のことだ。『死の海』にて後藤氏が改めて彼女に話を聞いたところ、本人は幽霊を目撃したことはないと語った。


 中西氏の発言が二転三転しているのは気になるが、おそらく幽霊の話は作り話の可能性が高い。メディア用のリップサービスといった所だろうか。


 ともあれ、戦争の犠牲者が戦後の復興を担う子供達を道連れにするという悲しい話はなかったのだ。


 この事故を機に全国の小中学校にプールの設置が進んでいき、この事故は今もなお全国の水泳教育の中で教訓として活かされている。


 今の日本を見て戦争及び事故の犠牲者も少しは救われたと思いたい。


参考:後藤宏行著『死の海 「中河原海岸水難事故」の真相と漂泊の亡霊たち』(2019年、洋泉社