"首吊り村"下多島の噂は本当なのか? 検証してみた
- 発端となったコピペ
22 : 本当にあった怖い名無し : 2008/08/04(月) 17:10:46 id:BESbFkZB0
俺が四年前まで住んでた村がヤバかったな
下多島村ってところなんだけど知ってる奴いるかな?
上多島村と下多島村ってのがあるんだけど、下多島村は部落の方
閉鎖的も閉鎖的で祭りには絶対に部外者を招待しない
対して上多島村はそんなことないんだよな
この上と下の違いの詳細は不明
で、下多島村で一番怖いのが自殺者の多さ
ほぼ毎年自殺者が出てて
村にある電柱の何本かは首吊りに使われることで有名
というか自殺者の全員が首吊りなのもちょっと怖かった
俺も深夜に隣町の本屋に出かける時とか、その電柱の側を通るのが怖かったな~
出典 5ch
調べてみたところ、「下多島」及び「上多島」という地名は、過去にも現在にも日本には存在していません。
ですが、「下田島」及び「上田島」という地名は実際にあるようです。宮崎県と群馬県にそれぞれあるようで、宮崎県の場合
1886年の「地方行政区画便覧」には(旧)佐土原町、上田島村、下田島村、下那珂村、東上那珂村、西上那珂村と記されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/佐土原町
宮崎県の佐土原町の合併前に、上田島村及び下田島村が存在することが分かります。
ですがこの地名は合併によって130年以上前に消えており、今では知っている人も限られているのではないでしょうか。そんな昔の地名を2chに書き込むような若者が知っているのか? その点が疑問に思います。
もしかすると字単位ではかつての地名が残っているのかもしれません。もしくは、地元の人が日常会話の中で昔の呼び名を便宜的に今でも使っているのか?
とりあえず「宮崎県 下田島」でググってみたところ…
https://www.navitime.co.jp/address/45201179000/宮崎県宮崎市佐土原町下田島/
ありました。
「下田島」。現在でも地名として残っているようです。ついでに「上田島」もありました。
ということは、宮崎県説はかなり有力となりそうです。
では、もう一つの候補である群馬県の上田島・下田島を見ていくと
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、小金井村の一部、脇屋村の一部、由良村の一部、藤阿久村、別所村、沖野村、西野谷村、上田島村、中根村、下田島村が合併し宝泉村が成立する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/宝泉村
こちらも先ほどと同様に、合併によって消えた地名となっています。しかしこの場所でも町という形で地名が現在にも伝わっているようです。
https://www.navitime.co.jp/address/10205146000/群馬県太田市下田島町/
群馬県説も有力。ということは、宮崎と群馬の下田島・上田島について調べていけば手掛かりを掴めるはず。
- 検証
なんと実際に地元の住人に尋ねてみた方がいました。
www.excite.co.jp/news/article-amp/Weeklyjn_17354/
どういう反応だったんでしょう。宮崎県では
「県の自殺者が多いという話は聞くが、上田島や下田島で自殺があったなんて聞いたことがない」(50代・女性)
「上田島では鬼子母神の祭り、夏祭りなどを行っているが、下田島でそのような秘密の祭はないと思う」( 60代・男性)
「ここで自殺した人なんていません。自殺したい人は、このへんなら海のほうへ行くと思います」(40代・主婦)
宮崎県説は薄い?
では、群馬県についてはどうでしょう。
「近くでねぶた祭りがあるが、上田島、下田島で祭りはない」( 60代・女性)
「電信柱で自殺した人の話なんて聞いたことがないね」(40代・女性)
返ってきたのは先ほどと同様の反応。群馬県説も薄くなりました。
結局、ネットに転がる創作の一つなんでしょうか?
しかし、ここで興味深い話が出てきます。
「ここら辺でそういった風習があるというのは聞いたことがないが、わしが生まれるよりも前に、“宝泉”という集落で殺人事件が起こったというのを聞いたことはある。確か、何人か死んだはずだ」(80代・男性)
宝泉と言えば、下田島を合併した村の名前。そんな村で何人も亡くなった殺人があった。
自殺ではなく殺人ですが、手掛かりになるかもしれません。
群馬県警ホームページの事件・事故年表に唯一該当すると思われる見出しがありました。
大正13年 宝泉村(現太田市)の八人殺傷事件
https://www.police.pref.gunma.jp/subindex/nenpyou.html
ネット上には他に情報はなく、国会図書館の公開資料にも手を広げてみましたが、関連する物は見当たりませんでした。
そこで上記記事の記者様は、太田市の図書館へと足を向け、当時の新聞(おそらく上毛新聞)のマイクロフィルムを確認しています。
そこには一本の記事が掲載されていました。
大正13年2月16日の午前3時頃、中島飛行機製作所の職工で宝泉村藤阿久に住む高田猶次郎(28)は深夜、突然槍を持ちだし、祖父( 77)と自身の長男(6)、二女(5)の3人を殺害。さらに実母(50)と妻(30)、妹2人(16)と(9)、長女(6)らにも重傷を負わせた。原因は父である高田次郎蔵が急病で危篤になった影響で、一時的に精神に異常をきたしたものではないか
事件の起きた場所は宝泉村の中でも藤阿久という場所であって下田島ではありませんが、この事件に間違いなさそうです。一家八人殺傷というのは当時でも大事件だと思いますが、今から100年前の事件ということもあり、聞き込みでもそれ以外の情報は知り得ませんでした。
- まとめ
ここまでをまとめると、首吊り村「下多島」の噂の真相は、おそらくデマです。よくあるネットの創作話の一つでしょう。部外者には秘密の祭りが伝わっているというのも、沖縄にあるアカマタクロマタから着想を得たのではないでしょうか。
ネット上に転がる様々な話を組み合わせて作った創作というのが結論です。
ですが、モデルとされたであろう(もしくは適当に付けた名前と偶然似ている)場所で、過去に不気味な事件が起きていたのは確かです。それも内容が「一家八人殺傷」。一家八人殺傷と言えば、かの杉沢村伝説を彷彿とさせます。コピペ検証の過程で歴史から消え去った事件が掘り起こされ、思わぬところで呪われた村との接点が見えたというのは、偶然の一致にしても、どこか奇妙で興味深い話ではないでしょうか。
参考:www.excite.co.jp/news/article-amp/Weeklyjn_17354/